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yshkn’s blog

島根に長期出張中の文系卒ITエンジニアの日常

根っからの文系のためのシンプル数学発想術を読んだ

10点中5点。

図書館読書で書いたように読んだ本の記録として振り返るためにさっと感想を残していくつもりだった。

しかし1冊目に読んだ本が濃かったからあまりさらっと書けず、その流れでなんとなく多少はちゃんと書かないとみたいな気負い(絶望的に文章力がないので気負ってもひどいのだが)があって読んですぐ書くサイクルを回せていない。
もっと雑に早く書くことを意識したい。

 

ということで4冊目。

 

根っからの文系のためのシンプル数学発想術

根っからの文系のためのシンプル数学発想術

 

 

数学に抵抗がある文系の人に数学がそれほど難しくない、そして役に立つということを伝えたいという主張の本。


自分は経済学部なので文系だが、大学でも数学の授業をとってたし、受験も数学に苦手意識はなかったので対象読者とは少しずれてると思われる。
そのせいなのかあまり印象に残るところはなかった。


最初の方で、「数学で大事なことは論理であって、それは文章を論理的に正しく読むことと同じことだ。だから文章を読むのが得意なあなた達文系は数学もわかる。」というような主張がされている。
ただ文系=文章を読むのが得意というのがそもそもあまり正しくない気がする。
もちろん法学部の人やそれ以外でもロジカルに文章を読み書きするのが得意な文系の人はたくさんいるだろうが、文系選択の理由で大きいのは理数系が苦手だからとか、なんとなく硬そうな雰囲気みたいなものとかで、ロジカルな読み書きが得意だから文系を選んだ人の比率は低いだろう。
最初のこの主張が外してると感じたせいもあって特に印象に残らなかった。
できるだけわかりやすく多方面から数学の考え方を伝えようとしてるので細かい所で面白いところはあった気がする。
著者はプロの指揮者でもあるらしく、数学と指揮の共通点を話してる部分があり、わりと主観的な話なので批判的な人も多かったみたいだが、個人的にはのだめにハマってクラシックに興味が出てきてるのでここは楽しめた。

 

採点についてはリンクの記事に書いてあります。

子供の難問を読んだ

 10点中7点。

子どもの難問

子どもの難問

 

  

3冊目は「子供の難問」を取り上げる。

 

編集者が野矢茂樹で多数の哲学者の見開き1.5ページの論考集となっている。
想定読者は小学生から中学生がメインで、幼稚園児や小学校低学年が抱きそうな素朴で根本的な疑問22問について、鷲田清一永井均中島義道といった現代の著名な哲学者が回答していくという作りになっている。

 

哲学を扱った子供向けの本にはよくあるのは、中身は十分大人でも楽しめる、というよりある程度小難しい概念を理解していける一部の子供以外には難しい内容になっていることだ。この本もそういった嫌いはないこともないのだが、できるだけ子供が抱くような疑問に、子供に語りかけるように書かれている。一つの文章が短く、論理を重ねて深く進んでいくようなことはしていないこともあり、普通に本が読めて考えるのが好きな子供なら楽しめるのではないかと思う。

 

しかし、上記のことの裏返しに、子供向けのものが多いとは言え哲学的な本を何冊か読んで楽しんでいる僕には物足りない所も多い。最近永井均の「翔太と猫のインサイトの夏休み」を読み返して、25のおっさんが読み返しても面白い、根源的なことに関して一歩ずつ思考を深めていくことを体感できる名著だと感じた。それと比べると各文章の執筆者もバラバラで、テーマもバラバラな本書はより広く浅く、初心者向けといった感じがする。

 

もちろんそういう今まで全く哲学の本を読んだことのない人に興味を持ってもらいたいという思いを込めて作られた本だと思うので、意図通り、興味を持ちやすい内容の著書になっている。

 

本書を読んで、より深く考えたいテーマや、もっと読んでみたい哲学者を見つけ深みに嵌っていく人がでるのを野矢茂樹は願っているだろうし、僕もそういう人が増えるといいなと思っている。おそらくこの本に興味を持つ多くの人は僕と同じかそれ以上に哲学に詳しいと思うので、ざっと読んで楽しんだら、周りの、あまり詳しくないけど意外と嵌ってくれそうな人なんかにおすすめしてみてほしい。

 

翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)

翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)

 

 採点についてはリンクの記事に書いてあります。

ずるい日本語を読んだ

 10点中6点。

ずるい日本語

ずるい日本語

 

 図書館読書第二弾は「ずるい日本語」だ。

 

読んでから少し経ってしまったことと正直あまり印象に残っていないのでさらっと記録として残しておく。

 

タイトルからはどんな内容かあまりイメージが湧かないがネットの評判はわりとよさそうなので読んでみた。(個人的に文章術系の著書はすぐ読みたくなってしまう。なにも活かせられていないのだがw)

 

中身はキャッチコピーやちょっとした企画書でどういう表現だと興味をひかせやすいか。という内容であった。

 

最初に0章として「WHAT」なにを言うか・書くかが重要であるということが書いてあり、それを見つけ、深める方法にも触れられているのはとてもいい。

表現を鍛える系の本を読んでも、で、何を書こうで止まってしまうことが非常に多い。

やはりそこに触れずして表現方法だけで突っ走られても困るのだ。

その点でこの著者はそこをわかってるなという感じだ。

 

そして本題として「HOW」どのように言う・書くと良いかの解説に入るのだが、ここからはこの手の本を何冊か読んだ人には大体既知の内容が例示とともに述べられている。数字が重要だと書いてるわりにはふわっと思いつき的に解説しているところも目に付く。

平易な文体で例を挙げながら効果的な表現のためのポイントを複数解説している。

分量も少なめでかなり読みやすく、こういう本をあまり読まない人にはおすすめ。

 

何冊か読んだことのある人には、頭をもう一度整理する程度かなという感想だ。

 

採点についてはリンクの記事に書いてあります。

プルーストとイカを読んだ

 10点中8点。少し硬いので万人受けはしないだろう。

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

 

 

図書館読書記録第一弾は「プルーストとイカ」だ。

ここ1,2年新書かビジネス書ばかり読んでいたせいか読むのに時間がかかってしまった。内容としても既知のことが少なく難解な部分があったのが一つの理由だろう。もう一つの理由はハードカバーだということだ。僕は寝ころびながら読むことが多いため、ハードカバーをかなり嫌っている。同じ値段で全く構わないのでソフトカバーで出してほしい。ハードカバー撲滅運動を推進していきたいと思っている。

 

早速内容に入ろう。

本書は3つの章で成り立っている。

 

一章目は人類が文字を手に入れるまでの過程を解説している。

最初に驚くことは脳には文字を読むための領域というのは存在しない。文字を発明する以前からの領域を接続させることで読字を行っているということだ。文字を発明する以前と以後で脳のしくみはほとんど変わっていないらしい。

だから、人類は現在になっても読字の能力を一から手に入れるしかない。本章で詳しく話されているが、文字が発展するか否かは次の世代に文字の読み方を効果的に教える方法を持っているか、それが一部の階級のみでなく大衆に開かれているかが重要な要素になっている。

こうして今に至るまで文字言語を発展させてきたわけだが、この章の最後に大きく取り上げられているのが、ソクラテスの読字文化否定論だ。ソクラテスは読字は膨大な知識を手にすることを可能にするが、読み手が必要な情報に絞ることができず、正しく深くまで理解することも保証できない。深く考えることを妨げるのが読字だとして読字文化を否定している。

 

二章目は子供が生まれてからどのようにして読字を習得していくのかを解説している。

幼いころにどれだけ話しかけられたか、どれだけ本の読み聞かせをしてもらったか、それが子供の言語能力、読字能力を大きく左右する。

 

三章目はディスレクシアを解説している。

ディスレクシアとは読字障害のことである。二章目で書いたように読字の習得に効果的な方法があるが、それを人並にやっても大きく能力が劣ってしまう人が一定数いる。アメリカでは15%程度日本でもこの障害に該当する疑いのある人が10%程度いるとされている。主に正しく読めない者と流暢に読めない者その両方と3つに分けられる。言語の種類によって割合が異なることが指摘されている。

ディスレクシアの原因は唯一の定説というものはなくいくつかそれらしい説があるようだ。ただ、多くのディスレクシアに共通するのが、ほかの人より右脳が発達していることだ。読字を行う場合もほかの人は左脳で行うが、ディスレクシアの人は右脳を用いているらしい。

それが原因なのか天才として知られる偉人の中にディスレクシアだと推測される人が多数いる。エジソンダヴィンチ、アインシュタインらがそうだ。また、著者の息子もディスレクシアらしく、建築物の模写を書きやすいからという理由で上下さかさまで描き、その絵の正確さはかなりのものだ。ふつうの人にはさかさまの方が描きやすいという発想は持たず、正確に描くのも相当難しいのではないか。

著者のここでの主張は「ディスレクシアの人は一定数いて、彼らは劣っているわけでも、怠けているわけでもない。ただ異なるだけだ。すばらしい能力を持っている人も多い。また、読字能力の改善に有効な教育方法もある。そういう知識を教育者や親たちが持っていることでディスレクシアの子供たちの未来を拓くことができる。」というものであり、全くその通りであるだろう。

 

最後の締めとして著者は現在の状況を読字文化を否定したソクラテスと重ねる。ネットが普及し増幅し続ける中で、かつてのように本を深く読む機会が減っている。検索したら即座にほしい情報が、さらには画像や動画まで得られるというのは人類にどんな影響を与えるのか。想像力が増す可能性もあるが、逆に難しいことを時間をかけて考えることができなくなるのではと危惧している。

しかし、僕はあまりこの危機感には共感しない。そもそも文字を書いて残しておくこと、それを本などにして読めるようにすることそれとやっていることは本質的にはあまり変わらないのではないか。 もちろん量、速度ともに断絶的な飛躍があるのでそこで致命的な変化が起こることはありうるが特にそんなことはない気がする。

むしろラジオが出たとき、テレビが出たときの方がドラスティックにインプットが変化したように感じる。そこで致命的な何かは起こっていないと考えているので今のままならそんな危機感は不要ではないか。ただAIの発展がすさまじい昨今5年先も同じことが言えるかどうかはわからない。

 

読むのにも時間がかかったが、書くのにも時間がかかってしまった。もう少し簡潔に短時間で書きたい。

 

採点についてはリンクの記事に書いてあります。

図書館読書

僕はそれなりに本を読むのが好きだ。といっても読書家としてみたら、読書量はちっとも多くなく誇れるようなものではないのだが。

特に長期出張で島根で一人暮らしを始めてからは読む量が著しく落ちた。

読みたい本ばかり増えていき、家の積読Amazonのほしいものリストも膨れる上がるばかりでちっとも減らない。読む速度の少なくとも3倍の速さで増加してるんじゃないかな。

読みたかった本が目の前に何冊もあるのになぜか読む気になれない。読み始めても進まない。

そんな中である程度効果を上げている回避策が図書館で借りて読むことだ。期限がある。それだけでかなり違う。図書館に通うようになってからはある程度読む量が回復した。

ただ一つ問題に最近気づいた。読んだ本の多くがほとんど思い出せないのだ。もともと自分は本を読んでも全然記憶に残らないから当たり前なのだが。しかし、購入した本だとかつて読んだ本が家の中で目に付く。案外、タイトルをみる、表紙をみる、中身をパラパラ読む、それだけでいろいろと思い出すことができる。その繰り返しで定着できた本もある。冊数が多く滞在時間も家と比べれば断然少ない図書館ではその機会が著しくが少ないのだ。

それを何とかするために図書館で読んだ本をブログに残す。それがこのブログの一つの目的だ。図書館を利用し読書量を保ちつつブログで定着を図る。何とかうまくまわせたらいいのだが。

いままでもいくつかブログをやってきたが続かなかった。今回は続けたいものだ。